AIアートはキュレーションである
本記事では、AIアートにおけるキュレーションの概念を探求する。著者は、AIアートは伝統的な創造性を伴わないが、AIを介して特定のイメージやサウンドをキュレーションすることで、言葉にしにくい直感や感情を表現できると主張する。AIアートを面白い石を探すことやプレイリストを作ることに例え、キュレーション自体が価値ある創造的活動であると強調し、AIが文化におけるキュレーションの可能性を拡げることを論じる。
著者のAndy Masleyは、AIアートの本質は創作ではなくキュレーションにあると語る。彼は、AIで画像や音楽を生成しても絵を描いたりギターを弾いたりしたときのような満足感は得られないが、AI作品は予想以上に感情的な共鳴をもたらすと述べる。その理由は、AIが彼にとって重要な特定の「雰囲気」を、他の方法では組み立て困難な形でキュレーションできるからだ。
MasleyはAI画像制作を「面白い石を探すこと」に例える。石の形状に責任はないが、石を並べて自分のセンスを披露する楽しみがある。AI音楽も同様で、Sunoにスタイルプロンプトを入力し、結果を試行錯誤するのはプレイリスト作りに似ている。彼はモデルのベクトル空間を探検し、特に価値のある特定のサウンドを見つけ出す。例えば、Sunoが生成したシューゲイザー曲の最初の2分間、特に50秒爆発音は、十代の頃感じた世界への開放感を完璧に捉えている。
AI音楽はまだお気に入りのバンドには及ばないが、Masleyはニッチなジャンルでの比較優位を強調する。最高のシューゲイザーアルバムがジャンルを「破壊」した後、AIは中程度のシューゲイザーから好みのサウンドを選び出す手段となる。ダンジョンシンセのような未開拓のジャンルでも、AIは人間の作品の限られたセットを補完する。彼はこれらを「創作」ではなく「発見と編集」と捉え、その過程に充足感を覚える。
昨年、Masleyは自作のAI画像集を公開し、読者から共感を得た。彼は画像に対する芸術的所有権を感じなかったが、それらを使って自分の嗜好を表現する方法に創造性を見出した。この経験は「遠く離れた同族」を発見したような喜びをもたらした。
記事はさらに、キュレーションの文化的意義を深掘りする。Piero Scaruffiの「芸術の意味」を引用し、「大部分の創作は模倣に過ぎず、キュレーターが世界についての声明を構築するための原材料である」と論じる。4chanの音楽板「/mu/」で勃発した対立するカノンや、Pitchforkの極端なレビュー(キッドAの10点満点レビューやBTOの0点レビュー)を例に、キュレーションがアイデンティティとステータス競争の道具となる様子を描く。
Masleyは、AIアートをめぐる議論が「創造性の有無」に矮小化されていると危惧する。彼にとってAIアートの創造性はプレイリスト作りと同程度であり、芸術的創造性かどうかよりも、人々がどのように嗜好を共有し、競争するかの未来のほうが重要だ。AIはキュレーションの空間を劇的に拡大し、個人がより具体的な画像やサウンドを集めて世界に示す道を開く。
最後に、著者は最近作成したAI画像を紹介する:マサチューセッツ州のトリプルデッカーアート、ノスタルジックな写真、測地線ドーム。これらはいずれも、創作ではなくキュレーションを通じて感情を伝える彼の考えを具現化している。